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  Origin of Fighter  HOME 2003年4月1日更新 

 フォッカー単葉機機銃同調装置の組み合わせが
 高速偵察機が戦闘機へと脱皮した最初の機体であると伝えられています。
 このページでは、戦闘機誕生の経緯を要約してみました。





 前史


 開戦後間もない頃の軍用機は
 その殆どが無武装のBE.2やファルマン、アルバトロス、タウベなどの偵察機でした。
 機関銃が空に上がるまでは、騎兵銃や拳銃など、思い思いの武器を機内に持ち込み
 交戦していました。
 フォッカー単葉機の犠牲となったのは、
 主にこういった戦前に設計された副座偵察機達です。
 本格的単座戦闘機「DH.2」の登場はもう少し後になります。
 機銃を固定して機首を敵に向けて撃つという発想は
 この頃まだありませんでした。
 DH.2でさえ、初期型は機銃が固定されていません。




 初期の戦闘機


 1915年初頭
 英国航空軍団へ、機首にルイス機銃を備えた副座推進式戦闘機
 「ビッカース FB.5 ガンバス」の配備が開始されています。
 (後述)
 13年にオリンピアの航空ショーに展示されたその原型機には、
 最初から機銃が取りつけられていました。
 とはいえ、ガンバスは戦闘機に不可欠な速度や上昇性能を備えていませんでした。





 モラン・ソルニエL(注1)とフォッカー単葉


 ドイツ、LVG(注2)の設計技師、スイス人、フランツ・シュナイダーは
 1913年7月
 エンジンがパイロットの前に配置されたトラクター、牽引式航空機用に
 機関銃とプロペラを同調させる装置(注3)の特許を取得しています。
 1915年
 ニューポール単葉(注4)をモデルにシュナイダー自らが設計した
 LVG単葉機に搭載するも移動中に破壊。
 その後、テストは再開されませんでした。

 同じ頃
 モラン・ソルニエ社のレイモンド・ソルニエー(Raymond Saulnier)も
 同調装置を研究していましたが、フランス当局の援助が得られず
 実用の域に達していませんでした。
 彼はとりあえず
 銃口前のプロペラ内側に楔型の防弾金具(デフレクター)を取り付け、
 機銃弾を逸らすという方法を考えました。
 (ギャロスがソルニエーに頼んだとか、自ら考案したという話しもあります)
 1915年3月
 第23飛行中隊に所属していた高名なパイロット、ロラン・ギャロス


     
     Roland Garros


 の乗機であるモラン・ソルニエL型に
 8mmホチキス機銃とこのプロペラ防弾金具は取りつけられました。
 他のパイロット達もテストを行ないましたが、プロペラの損傷が酷く、
 軍では不採用になっています。
 が、しかし、ギャロスはこのアイデアを放棄せず、
 その後の3週間で4−5機撃墜という戦果を上げます。
 1915年4月15日
 敵前線後方で機銃掃射中、被弾、不時着したギャロスは
 乗機の破壊に失敗、彼は捕虜になり、機体はドイツ軍に鹵獲されてしまいました。


 鹵獲された機体をもとに
 デフレクターを複製して実験した結果、ドイツ製の機銃弾に耐えられないことが
 判明します。
 フォッカー技師は軍から防弾金具のコピーを依頼されるますが
 代わりにより確実なシュナイダータイプの同調装置の研究を、
 ヘーベル、ライムベルガー、ルーエップら3人の技術者に託し
 これを1週間以内に完成させてしまいました。
 (日数は資料によってバラツキがありますが、相当な短期間であるという点は同じです)


    


 フォッカー社は、1913年に初飛行した単葉機、
 フォッカーM系の翼幅短縮タイプであるM.5Kに、
 同調装置と7.92mmスパンダウ機関銃を搭載
 テストとデモンストレーションの後、
 E.1(Eindecker I)として軍に制式採用されました。
 これは後に、
 エンジンをオーバーウルゼル80hpから100hpに強化したE.2を経て
 最も多く生産されたE.3へと改良されて行きます。


 1915年6月
 機銃同調装置が生産される以前の代表的な戦闘機の一つである
 推進式複葉機、DH.2が初飛行しました。
 当時としては優れた上昇性能と操作性を持っていたDH.2は
 プロペラをエンジンの後ろに配置することによって、
 機首にルイス機銃を装備し、良好な視界を得ていました。
 1916年ソンム会戦直前とその序盤、
 活発化した偵察機の行動を援護し、フォッカー機の優位を覆します。


 1915年8月以降
 フォッカーE.1は本格的に実戦投入されます。
 以降、ドイツ側の航空優勢は約10ヶ月続きました。
 しかし、用兵側の無理解からか、その作戦行動には制約がありました。
 E.1は各飛行隊に1−2機ずつ分散配備され、
 機密保持の観点から前線を越えることも禁じられていました。

 同年7月
 英国航空軍団(RFC)は
 世界に先駆け、戦闘機(FB.5 ガンバス)専門部隊、
 第11飛行隊をフランスで編成しているのと対照的です。
 (ドイツのJasta1編成は16年8月半ば)





 その後


 先に述べたような制約があった上、生産数も実働機数も少ないフォッカー単葉は
 ライバルの不在故に伝説となりました。


 伝説に最大の貢献をした連合国側の機体はBE.2cです。


 1911年後半に原型機が設計されたBE.2は
 1912年以降、イギリスの航空隊に配備され、
 各型合わせて4000機以上生産されたベストセラーです。
 偵察や着弾観測を主な任務としており、安全に飛行することだけが求められた結果
 固有安定を重視した、初期の素朴な飛行機械でした。
 しかし、良すぎる固有安定は追われている時の回避では障害でしかありません。
 また、前席が偵察員席であった為、
 防御機銃を後ろに向けるには立ちあがって後席パイロットの頭越しに撃たなければならず
 最大速度110km/h前後では逃げることもできず
 パイロットは敵戦闘機と遭遇しないことを祈るしかありませんでした。
 前線での評判に反し、イギリス本国では好評で、
 第一線を退いた後も長く練習機として使用されています。





 蛇足


 フォッカー機による最初の損害が報告されてから、連合軍側による同調機銃の戦力化には
 約8ヶ月の期間を要しました。
 まだまだ信頼性に難の有るビッカース同調装置の戦力化は16年3月末。
 ロシアからもたらされた実用的なスカルフ・ディボウスキー同調装置が
 万能機ソッピース・ストラッターと共に西部戦線に展開したのは同年4月。
 すべての機種に搭載可能な
 ゲオルゲ・コンスタンチネコ考案のCCギアが量産に入ったのは17年以降です。
 にも関わらず
 DH.2のようなテイルブーム方式が、その後全く省みられる事無く、
 衰退した理由は何でしょう?


 木村秀正教授はFE.8の解説の中でこう書いています。

 (FE8を戦闘機に必要な要素を何一つ持っていない、
 WW1最悪の戦闘機であると断罪した上で)
 ところが、FE8こともあろうに、
 空気抵抗のかたまりのような推進式複葉を採用している。
 尾翼を支持するのに、ふつうの胴体の代わりに、
 支柱と張線を使ったアウトリガーが使われている。
 張線というものは、直径が小さいから、写真で見ると、あまり目立たないものである。
 しかし針金の直径は数mmしかないから、
 気流中におかれた時のレイノルズ数(注)は極めて小さい。
 具合の悪いことに、針金のように断面が円形のものは、あるレイノルズ数以下では
 空気抵抗が何倍にもはね上がる性質がある。
 だから細い針金の空気抵抗というものは、
 みかけで想像するよりはるかに大きいのである。


 レイノルズ数についてはネット上に優れた解説が数多くあります。
 興味のある方は検索しては如何でしょうか。
 しかし、木村教授の述べている
 「あるレイノルズ数以下では空気抵抗が何倍にもはね上がる」性質
 については確認できませんでした。
 この点はもう少し探ってみます。
 また、抵抗の増加以外のデメリットとして、
 張線の張力の調整に整備員のスキルが必要であるとか、
 工数が増えて生産効率が下がるなどがあるようです。
 他、戦前に生産された軍用機やレーサー機の多くが、既に牽引式だった理由として
 レイアウトを纏め易いというのがあります。
 エンジン、燃料タンク、コクピットなどを順に配置することで
 主翼や脚部の強度設定を容易にし、
 抵抗の少ないクリーンなボディを実現できるというのが好まれた結果
 レシプロ機の基本的な形態として定着したのでしょう。
 これに対して推進式は配置が難しく、
 パイロットの機外への脱出もプロペラによって阻まれてしまいます。


 ■追加


 レイノルズ Reynolds Osborne 1842-1912


 イギリスのマンチェスターにある
 ヴィクトリア(現オーエンズ)大学教授を勤めた工学者。
 流体力学と気体力学を研究し、管中を流れる流体の層流から乱流への変化を調べた結果
 レイノルズ数と呼ばれる無次元量の重要さを発見した。
 これは(流速)×(代表寸法)/(動粘性係数)で表される。
 動粘性係数は粘性係数と流体密度で割った比である。
 レイノルズ数は流体運動方程式における粘性項(粘性力)の比で、
 これが同じであれば、相似物体の流動運動は相似である。
 レイノルズ数は水力学、空気力学、気体力学で第一義的に重要なパラメーターである。

 弘文堂『科学技術史辞典』より

 2003年4月1日更新




注1 モラン・ソルニエ L Morane-Saulnier L
乗員:1−2
エンジン:ノーム空冷回転星型7気筒80hp
全幅:11.2m
全長:6.88m
全高:3.93m
翼面積:約18.3u
自重:385kg
全備重量:650kg
最大速度:115km/h
注2 LVG
  ルフト・フェアケーア社(Luft Verkehrs Gesellschaft)
  1908年:パルセバル式飛行船による旅客会社として設立される
  1911年:ファルマンタイプのライセンス権を取得
  1912年:独自開発のLVG D型の生産開始
  フランツ・シュナイダー(Franz Schneider)によってデザインされた
  各種の副座偵察、軽爆撃機を中心に大戦の全期間を通じて生産。


注3 同調装置 synchronization mechanism
  プロペラブレードが銃口の先にある時は弾丸を発射させない機械的な仕掛け。
  ”プロペラの位置はエンジンシャフトの角度と一定の関係にある。
  シャフトにカムを取り付け、プロペラが機銃の銃口前に位置する時
  カムに連動するプッシュロッドで機銃の引き鉄を止めれば
  プロペラを自機の機銃で撃抜くことを防ぐことができる”
  アスペクト「発明の20世紀」P134より抜粋


注4 ニューポール単葉 Nieuport Monoplane
  戦前にレーサー、スポーツ機として数々の記録を塗り替えた傑作機
  フランス陸軍にも採用され、以後、派生型が各国でライセンス生産されている
  (日本でも輸入、チンタオ攻略戦に一機が参加)
  ごく初期にプロペラ回転圏外から機関銃を発射するテストも行っている。
  因みに、シュナイダーはLVGに移る前、ニューポール社に勤めていた。

 Nieuport IVG (1911年フランス)
乗員:2
エンジン:ノーム空冷回転星型7気筒50hp
全幅:11.6m
全長:7.8m
全高:2.5m
翼面積:約17.5u
自重:350kg
最大速度:105km/h